本澤二郎の「日本の風景」(5101)

<311東電原発フクシマ13年=恐怖に屈せず退治する反原発にギアを切り替えると長寿も>

2024年も恐怖そのものである311が到来。風化どころではない。今も被ばくの人たちの呻吟が聞こえてくる。ロシアのプーチンは敵対する反体制派を、恐怖の世界に追い込んで命を奪った。ガンを患っている沢山の人々、当時は幼子だったが、今は20代の男女のことも気になってしまう。


東電は、昨年から猛毒トリチウム汚染水を海洋に垂れ流して恥じない。それでも原発から手を抜こうとしない。経産省の原子力マフィアは、安倍内閣で息を吹き返したせいだ。菅義偉も岸田文雄も「原発大国」を目指している。そのことを岸信介・正力松太郎・中曽根康弘の流れを継承する渡辺恒雄の読売新聞・日本テレビさらに日経新聞などが、今も喧伝して国民を欺いている。


311の教訓は、核原発廃止・廃炉することに尽きる。核をこの世からなくすことが正義である。フクシマの叫びは、原発のない日本でなければならない。恐怖を抱いた人々は、そこへと舵を切ることで、1日でも長く生きなければならないだろう。その誓いを確認する311の今日であろう。


温故知新とは、未来を無事に生きるための指針である。過去を忘却するものは、現在も盲目、将来はなおさらのこと何も見えない。岸信介の尾を引きずる現在の日本政治は、同じ過ちを繰り返すだろう。この恐怖を退治する勇敢な日本人・議会・司法でなければなるまい。安倍・清和会政治の悪魔性を見て取れるだろう。


<東芝製3号機はプルトニウム加工燃料=核爆発「死の灰」315に首都圏に大量の放射能=被ばく死も>

フクシマ東電13年を機会に改めて311の4日後の315を振り返る。東芝製の3号機のことを誰も報道しない。1,2号機と異なる。3号機は映像で誰でも目撃できる。知らない日本人がいたら、それこそ大変なことである。

ヒロシマやナガサキと同じ核爆発を起こしていた。きのこ雲を目撃できる。「死の灰」が降っていた。中性子が飛散し、多く

の人々が被ばく、中には亡くなっている人もいる。共同通信が千人ほどの遺体の山を報じたが、当局が消してしまった。被ばく死を隠蔽している東電と日本政府である。まさに恐怖そのものである。


315の午前10時から11時頃にかけて大量の放射能が、茨城・埼玉・千葉をかすめて都内に流れ込んできていた。当時、筆者は木更津市の廃屋のような自宅の様子を確認するため、この恐怖から逃れることができたが、品川区大井のマンションにいた妻が被ばくしたようだ。2年後に肺腺癌で非業の死を遂げている。2年前に仲良しだった中小企業社長のAさんが、肺がんで亡くなった。


次男正文は、2010年4月に東芝病院で、入院直後の看護放棄で孤独死という悲劇で命を奪われている。いまも反省謝罪なしだ。三井傘下の東芝経営陣には、人間性のひとかけらもない。東芝復活はありえないだろう。

原発作業員の命をたくさん奪っていることも分かっている。韓国では、戦前の強制労働裁判で最高裁が有罪・賠償請求している日本財閥もまた、反省も謝罪もしない。この財閥の傀儡政権が自公内閣と断じたい。


<心配事は病の元凶=中国5000年の漢方治療の原点>

中国の漢方は5000年以上前からの健康法という。政治・哲学などは因果を理念とした科学思考を基本にしている。西洋医学は、病原を見つけて、そこを叩くのだが、漢方はその寄って来る原因に的を絞る。体全体から原因を突き止め、そこから治療していくのだが、その場合、患者の精神状況にも注目する。

恐怖や心配事が病の原因であるケースが少なくない。したがって患者の恐怖や心配事をなくすことに気を遣う。


日本では「あなたはガン。あと3か月」などという死刑宣告は絶対にしない。「大丈夫、心配ない。私を信じなさい」といって患者をいやすところから治療が始まる。

人間の命を奪う悪魔は、右翼が好む権力主義者や脅し専門のやくざ暴力団。「木更津レイプ殺人事件」は、やくざ暴力団による恐怖を繰り返し押し付けたことによる突発性の大動脈りゅう破裂だった。


フクシマの人々に言いたいことは、恐怖に屈することではなく、怒りを原発退治や原発推進派を退治することだ。立場を逆転させるのである。原子力マフィアを退治する人々になればいい。ギアを切り替えることが長寿への秘訣なのだ。


<核汚染ごみで泣いている袖ヶ浦市民は、やくざ暴力団退治に立ち上がった!>

昨日は共産党系の住民と立ち話をした。袖ヶ浦と君津の核汚染ごみ

についての近況を伝えた。とても喜んでくれたのだが、自ら飛び込もうという態度を示さなかった。「相手は確かにハマコー系のやくざ暴力団」といって肩をすくめた。

残念ながら、これが房総半島の偽らざる民度である。出る杭は打たれると思い込んでいる。出過ぎた杭は打たれないという真実をいま、ようやくにして袖ヶ浦市林・高谷地区の住民が納得して、先頭に立って走り出している。ペンも鋭くなってきた。朝日新聞も。


やくざ暴力団追放の勝浦市を目指せ、である。東北3県と首都圏住民もやくざ暴力団追放に向けて始動する時だ。

2024年3月11日記(平和軍縮派ジャーナリスト・元千葉県暴力団追放県民会議参与)


本澤二郎の「日本の風景」(5100)

<不思議な民度の低い311原発被害のフクシマ>

日本人は忍耐強い民族性という病に冒されている、ある種の病気なのか。外国では、同じような事態、事件を目の前にして人々が大声を上げる。街頭に出て叫ぶ。そこから世の中を前進させてゆく。だが、日本人は違う。やくざ暴力団が跋扈する房総半島では「暴力団追放都市宣言」をしたのは勝浦市のみだ。土建・産廃関係を仕切るのはやくざ暴力団、具体的に言うと「ハマコー系」が現在も牛耳っていると事情通は指摘する。

これは驚くべきことであるが、商売・業界関係者は暴力に屈している。現に君津安房郡市では、市の業務の一部を彼らが死守して放さない。まるで中世のような社会が現存している。それを警察・検察・公安委員会も黙認していている。


同じようなことが、311の東電福島原発崩壊により、ヒロシマやナガサキの「死の灰」を浴びた福島県でも起きていた。原発推進勢力の自民党が、信じがたいことに相変わらず県政を牛耳っていた。


<言論統制する自民党の暴走を許す県民性>

昨日の一部の報道が、そのことを取り上げていた。

福島県議会の自民党が、2月の定例会で意見書を提出した。その中身がすごい。原発の汚染水という言葉を使わせるな、というのである。以下に報道記事の一部を添付する。


(意見書は「教育現場におけるALPS処理水の理解醸成に向けた取組の強化を求める意見書」。1月末にあった日本教職員組合(日教組)の教育研究全国集会で、処理水を「汚染水」と表記したリポートが提出されたことを問題視し、政府に全国の教育委員会に対して、処理水についての「適切な資料等の活用」などを要望する内容だ。福島県立高等学校教職員組合が3月8日会見し、「教育に政治が介入することを求めるもので、極めて危険だ」として撤回を福島県立高等学校教職員組合が8日会見し、「教育に政治が介入することを求めるもので、極めて危険だ」として撤回を求めた。

<福島県民は人間なら堂々と原発派を撃破せよ!>

日本は地震大国だ。原発という地球を破壊する核を導入してはならない。岸信介・正力松太郎・中曾根康弘・渡辺恒雄らを排除しなかったことに起因する。森喜朗・小泉純一郎・安倍晋三の清和会と、覚悟の対決をしてこなかったことと無関係ではない。

県知事も経産省出身と聞いて腰を抜かしてしまった。被ばく幼児を保護しなかった。被ばくの実験台にされていることに沈黙してきた福島県民。全国の市民運動家を結集して、フクシマから原子力マフィアを退治しなければならない。


<300キロ離れた房総半島の袖ヶ浦・君津両市では核汚染ごみ排除に覚悟の闘争中!>

日本の明日を明るくするための国民運動は、全国的に拡大している。廃炉が出来るのか?これから始めるという。専門家は100年かかるという。その間、核汚染水をずっと垂れ流すと、海も核汚染することになる。

魚介類を食べられない日が必ずくる。陸地の農業も駄目になる。その兆しを房総半島の産業廃棄物処理場や水源地に核汚染ごみを不法投棄して、土でかぶせている人非人も現れた。袖ヶ浦市の林・高谷地区の住民が告発している。いずれ核汚染米を食べることも想定されようとしている。


勇気ある市民が立ち上がってきている。防弾チョッキを着て選挙戦を戦う覚悟の正義の士も現れてきた。野党共闘が実現することになれば、千葉県政も一変するだろう。

この3年間の地道な闘争に対して、ごく一部だが市議や県議、国会議員も現場を視察してくれている。地元の住民は放射能測定器も購入した。やくざ系市長を追い詰める布陣もいずれ構築されるだろう。朝日新聞千葉支局記者も取材に力を入れてくれるようになった。毎日はどうか。読売も変わるしかない。ナベツネの時代は終わったのだから。

福島県民と千葉県民の共闘も生まれるに違いない。教育界が先導するだろう。自治労という組織は今もあるのか。行政の腐敗に立ち上がるだろう。核汚染を排除する前代未聞の闘争は、既に始まっていると信じたい。


<消えた公明党が系列企業に政治資金還流の仰天報道>

余談だが昨日のネット情報の中に仰天情報が登場した。公明党本部の政策活動費が、公明党創価学会配下の子会社へと莫大な金が流れていた。一体何なのか。確認しようとしたら、消えてしまった。おかしな映像が飛び出して、パソコンを封じ込めてきた。

電通の仕業なのか、自民党系の言論弾圧チームなのか、それとも?言論の自由の闘いは、既に熾烈そのものなのか。われは屈せず!

2024年3月10日記(平和軍縮派ジャーナリスト) 

やくざ暴力団追放都市宣言の勝浦市に続け!正義は必ず勝つ!


本澤二郎の「日本の風景」(5099)

<腰砕けの公明党をまた見せられる哀れカルト創価学会員>

森喜朗・小泉純一郎が誕生させた清和会の安倍晋三内閣で、日本は確実に、特別に操作された株高以外では、何もかもが沈没している。人間の質までも劣化して、国内外を混乱と混迷に貶めている。どなたも異論はないだろう。経済指標だけではない。貧困を象徴する生活保護世帯も急増している。ただし、例外も存在した。


銅線が銃弾に化けるということを、袖ヶ浦市林地区の住民はよく知っていた。そこでは埼玉県に本社のある日高金属が、こともあろうに水源地において銅線を洗浄する危険な大工場を稼働させている。住民の反発をよそに現在も稼働して、住民を不安に追い込んでいる。

43兆円と関係している。死の商人は暴利に燃えている。人殺しの兵器生産に狂奔する日本財閥傀儡政権は、今ではアメリカの軍需経済とそっくりだ。日本型の産軍複合体が確立しているのだろう。危うい日本である。


武器弾薬で生き残る!悪魔の考えることに突進している日本なのか。3月7日に初めて袖ヶ浦市議会で質問する議員が現れた。しかし、その中に公明党議員はいなかった。共産党議員も。質問理由は朝日新聞の報道に反応したもので、厳しい追及は皆無だった。

「このような事例はハマコー配下との連携で動いている。だれも追及しない」と地元の事情通が真相を打ち明けてくれた。声を上げる勇気ある人物が、ほとんどいない「やくざ暴力団が跋扈する房総半島」なのである。警察・検察も沈黙している袖ヶ浦市を、第三者は理解できない。


A級戦犯の岸信介の孫は、2015年に公明党創価学会と共闘して、自衛隊をアメリカの戦争に参加させる憲法に違反する法律を強行して、国民を裏切った。そして今また武器の輸出に大穴を開けようと自民党に屈しようとしている。国民と創価学会員に新たな衝撃を与えようとしている!


<非戦論は日本人・松本英子が米国で初提起=9条誕生の20年前=自公は自衛隊参戦法制から武器輸出も決断寸前=国民に恐怖>

日本は非戦を明記したすごい憲法を保持して、戦後を生き抜いてきたのだが、清和会の自民党と公明党創価学会によって「戦争する日本」に変身した。しかし、主権者は許さない。法廷闘争に持ち込んで抵抗を止めない。


何度もいうが非戦論を、この地球で初めて提起した人物は、日本人初の女性記者として、日本初の公害の原点である足尾銅山の鉱毒事件取材で大活躍した松本英子。反政府報道を責め立てられて、当時は「自由の国」と言われたアメリカに渡り、そこで邦字新聞やキリスト教会を活用して非戦論を叫び続けた。敗戦後に歴史の教訓として9条に明記されたほぼ20年前のことである。


松本英子の叫びが、敗戦後の日本国憲法において明文化された不思議さに驚く。松本英子研究は不可欠であるが、松本家の縁者に作家がいた。米国時代の資料から「松本英子の生涯」という本を出している。それによると、幼くして父親の漢学者から漢籍を学び、上京して津田梅子の父親の下で西洋キリスト教文化を体得した。東洋の漢学と西洋のキリスト教文化を合体させることで、非戦論を打ち出した松本英子に脱帽である。

9条研究者は松本英子の資料が散逸しない今、しっかりと整理した研究書が不可欠であろう。


はっきりといえることは、9条の非戦論は反骨の日本人ジャーナリストの実績が背景にある。そう断言してもいい。明治期の上総の国望陀郡茅野村出身。現在の木更津市茅野である。この地域からは、戦後に戦闘機乗りから東京新聞・千葉日報編集長・千葉テレビ常務を歴任した野村泰がいる。彼は晩年、地元の若者を集めて「野村塾」を開いた。そこに集った面々が、袖ヶ浦市の核汚染ごみ追及と排除に立ち上がっている。


<戦争党の自民・公明の前途に明るさはない>

安倍・清和会はガタついているが、それでも森喜朗はしぶとく生き抜いている。しかし、支援してきた読売のナベツネも老いて発言力を喪失した。改憲軍拡・原発推進も限界が見えてきた。

非戦の帆船日本丸が最善である!

2024年3月9日記(平和軍縮派ジャーナリスト)


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