朝日新聞点検<本澤二郎の「日本の風景」(3350)

<ナベツネ・読売化で墓穴掘る編集姿勢>

 最近新聞を読む機会がない。「中曽根新聞」に変身した読売の切り抜きを止めて、30年以上たつ。朝日の購読者を止めて、もう20年近くなる。最近の朝日は、いうなれば「読売化」で購読者を減らしてしまった。朝日は、ずっと日本を代表する高級紙だった。原点に戻ることを薦めたい。6月8日(土曜日)付の朝日新聞朝刊を、千葉県八千代市のAさんが、販売店で購入したものを郵送してくれての感想である。


<社説は1面肩で高級紙目指せ!>

 新聞は公器である。国民の声を政治に反映するという、崇高な使命を帯びている。ジャーナリストを「無冠の帝王」と称した時代もあった。反骨が記者の命である。

 したがって、権力に迎合する新聞人は、ジャーナリスト失格である。朝日も、そこへと落ち込んでいないか。

 東京タイムズの先輩で、田中角栄の秘書を歴任した早坂茂三は、田中派の新人候補に対して「朝日の社説をよく読んで、そこから公約をつくれば、当選間違いなしだ」と特訓していた。

 国民のコンセンサス・価値観を、朝日の社説が代表していたためである。昔の朝日新聞は、1面肩に社論を堂々と掲げて、読者国民の羅針盤としての役割を果たしていた。

 いまは、それがない。特にこの6年間の紙面の劣化はひどすぎまいか。


<記者教育の徹底急げ!>

 在京政治部長会の懇談の席で、後に社長になった松下さんが「試験をすると、女性が合格するので採用が増えてしまう」という話をしていた。

 それを裏付ける話が届いた。例の徳洲会医療事故を追及する友人が、4万人近い従業員を抱える徳洲会病院において、労使の勤務条件を定める労基法36条の「36協定」がないという大問題を厚労省に告発した。

 記者会見に参加した朝日新聞は、女性記者だった。この深刻・重大な記事を、朝日は没にしたといって友人は嘆いたものである。

 筆者の経験は、現在も追及する「木更津レイプ殺人事件」を、朝日新聞千葉支局の木更津通信部記者に伝えたものだが、殺人鬼がやくざ浜名と告げると、尻尾を撒いて逃げてしまった。


 記者教育を徹底することが、今の朝日には必要不可欠であろう。目の前の特ダネを逃がすというよりも、逃げてしまうようなひ弱すぎる記者の体質を、根本から改善することが、何としても求められている。


<国際面の充実>

 相変わらず、国際面が少ない。地球規模で動いている今日、日本の新聞は、アフリカや中南米の記事が少なすぎる。

 東アジアは特に重要だが、それも少ない。相手国民に寄り添うようなリベラルな記事が、極端に少なすぎよう。大陸と朝鮮半島は、従来とは一変している。それを反共主義の産経レベルで報道するようでは、国民を誤らせるだけである。歴史の教訓は、永遠に継続してゆくものである。

 国際面の充実には、英BBCとの連携を図ってはどうだろうか。東京タイムズでさえも、英フィナンシャルタイムズと提携したものであるが、BBCとの連携が好ましい。

 世界の動きを、より客観的に報道する姿勢が評価できるからだ。

<チラシで生きる新聞販売店>

 八千代市の朝日販売店からのそれは、分厚く膨らんでいた。原因は、チラシ広告である。

 チラシで生計を立てる販売店の様子がわかる。老人社会はネットが活躍する場面が少ない。スーパーに限らない。自動車や眼鏡、リフォーム、履物とチラシの量はものすごい。新聞販売員の労働も大変であろう。


 チラシ広告のために新聞を取る市民というのも、現在を反映しているのであろう。


 ところで、なぜ朝日新聞が郵送されてきたのか。理由は、山本太郎の記事が政治面に大きく掲載されたためで、感動した山本ファンが郵送してくれたものである。

2019年6月20日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

吹き荒れる暴政<本澤二郎の「日本の風景」(3349)

<民主主義という名のファシズム日本>

 一部の日本人は、また日が昇ると信じているが、多くの国民は「2000万円赤字家計」という真実の公文書で目を覚ました。その中に若者が少なくない。街頭に飛び出した賢明な青年男女も。真実を報道しない新聞テレビの日本を「民主主義という名のファシズムが徘徊」と定義することができるだろう。野党が結束して、永田町・平河町・信濃町で「赤いうちわ」で解散風を吹かすことができれば、悪魔を追い出すことができる。昨夜、自民党のたった一人の同士・村上誠一郎の励ます会に顔を出して、改めて感じさせられた。


<村上誠一郎励ます会で思い知らされる>

 恒例となっている村上励ます会を、ここ5,6年欠席していたのだが、昨夜は思い切って上京した。元気でやっているのかどうか、新聞もテレビも見ていないジャーナリストだから、多少は気になっていた。

 彼は元気だった。逆に「先輩!元気でしたか」と励まされてしまった。以前よりも痩せていて、行動的だった。息子の信太郎君とは名刺交換した。彼の娘が医者だということ、孫もいることも確認できた。村上水軍の末裔は健在である。


 誠一郎の勇気と信念を爆発させた励ます会は、昔と全く変わっていなかった。登壇した石破茂の話は申し分なかった。上手だ。旧田中派木曜クラブ機関紙を編集していたころの面影は消えていた。

 石破の話から、彼の自民党員人気が安倍をはるかに超えている理由がわかった。石破に村上政治が加わると、日本沈没を遅らせることができるかもしれない。石破から改憲軍拡を消すことができると、ましなのだが、果たしてどうか。遅れて登壇した政調会長の宏池会会長・岸田文雄の発言には、注目させる話題はなかった。


<特定秘密保護法・自衛隊参戦法・共謀罪強行の真犯人>

 村上は、他の自民党代議士とは全く違う。自らの発言と主張を取り上げた新聞や雑誌をまとめた非買本を、参加者に配布して、人々に警鐘を鳴らすことを忘れていなかった。

 75ページを開くと、左肩に「安倍政権で決められた2014年重要政策」の一覧が掲載してある。それは2013年12月6日の特定秘密保護法、2014年4月1日の武器輸出三原則廃止、同4月11日の原発再稼働、同日約600人の官僚人事権を官邸に移行させた国家公務員法改定、同6月18日の特別養護老人ホームの入所資格の限定と利用者の自公負担引き上げを決めた介護保険制度の改定、同7月1日の集団的自衛権の行使容認を閣議決定。

 このあとに共謀罪やカジノ・ギャンブル法が続く。そして平成の幕を引いて、166億円の巨費を使っての令和の祭祀、祭祀とトランプ招待。そして野党分断下の選挙で3分の2確保。残るは平和憲法の破壊工作の強行である。

 2019年危機は着実に進行している。なぜ、こんな恐ろしい憲法違反の悪法が強行されたものか。


<公明党創価学会の偉大なる実績と成果>

 自民党単独では、その力はない。国家神道の末裔の神社本庁も無理だ。400兆、500兆円を保有する財閥にもない。


 諸悪の根源は、池田大作氏が病に倒れたあと、実権を掌握した太田ショウコウ・山口那津男ら公明党と、これに同調した創価学会の原田・谷川らが、安倍支援に走っての、かくかくたる実績・成果なのである。


 池田が倒れた信濃町が、アベ内閣とともに戦争勢力に加担した偉大なる成果と言っていい。昨日の午後、友人のナンさんに話すと、本心から頷いていた。

 アベ暴政のカギは、信濃町にある。再び3分の2という恐怖の選挙結果を手にできるのかどうか。


<「2000万円赤字」を野党一本化で攻め込めばアベ撃墜確実>

 12年前に「消えた年金」で安倍は沈没した。

 今回は年金基金崩壊を裏付けた「2000万円赤字」家庭を、ほぼ確実な数値で示したものである。立派な公文書だから、閣僚が云々しても始まらない。

 したがって参院選では、複数区でも野党が結束すれば、3分の2を食い止めることができる。衆院の小選挙区でも連携すれば、政権交代である。安倍を海中深く沈めることができる。

 ただ悲しいかな二つの民主党が夫婦喧嘩を止めない。安倍のプラス材料ではある。


<村上は「1本のローソク」を貫いて叫び続けている!>

 「2020年までに金融の世界規模の破壊」「アベノミクス破綻=財政SOS=金融緩和SOS=株価対策で逃げるアベ内閣」「2020東京オリンピックSOS=原発汚染水対策SOS=台湾・韓国は日本食料品輸入禁止」

 「生まれたときから900万円の借金」「財政は危機的状況」「ジャーナリズム喪失」「官邸独裁を許せるか」ー。村上誠一郎は健在である。

2019年6月19日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員会員

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反安倍で先鋭化「前川喜平氏」、安倍さんは元号も私物化したので私は令和を使わない!

6/19(水) 6:02配信

デイリー新潮

 6月28日より、新宿ピカデリーほか全国公開される映画「新聞記者」。原案は、菅義偉官房長官の天敵、東京新聞の望月衣塑子記者(44)の著書「新聞記者」(角川新書)で、謳い文句は“官邸とメディアの裏側を描く、孤高のサスペンス・エンタテインメント!”とか。

 その公開記念としてシンポジウムが東京で開催されたのだが、そこには望月記者と共に、あの前川喜平・元文部科学省事務次官(65)が登壇。

「5月から私は元号は使わないことにしている。安倍さんは元号まで私物化した」
「内閣情報調査室は安倍さんの私兵と化している」
「読売新聞は安倍さんのプロパガンダ紙」

 と言いたい放題。講演慣れしているためか、口跡も滑らかな前川氏、反安倍のプロパガンダを行っていた――。

 ***

 デイリー新潮が「講演会は大盛況! 前川喜平・前文科省事務次官曰く『日本会議は害虫の巣』だって」と、前川氏の講演の模様をお届けしたのは昨年(18年)4月のこと。17年1月、文科省OBの再就職等規制違反の責任を取る形で辞任して1年余り。この時、彼はこう語っていた。

「えー、皆様にお願いがございます。あと1年経ちましたら、私の顔と名前を忘れていただきたい、と。もう名前と顔が売れて困っております。私は芸能人でも政治家でもございませんので、あまり売れたくないんでございます」

 あれから1年以上が過ぎたわけだが、その間に著書「面従腹背」や対談本などを出版した前川氏はますます意気軒昂である。この日の「映画『新聞記者』公開記念 『官邸権力と報道メディアの現在』を語るシンポジウム」のチケットは完売で、およそ700名の観客を前に、望月記者と“反安倍トーク”に花を咲かせたのだった。その刺激的なところを抜粋してみよう。

司会:映画「新聞記者」原案となりました「新聞記者」の著者であり、東京新聞社会部記者の、官房長官会見でご存知の方も多いと思います、望月衣塑子さんです。続いて、元文部科学省事務次官、現在は現代教育行政研究会代表として教育問題に取り組んでいらっしゃいます、最近はTwitterも始められました前川喜平さんです。

前川:あのね、始めたっていうのは正確じゃないんです。私、Twitterを始めたのは2012年の12月なんです。これは第2次安倍政権ができる直前です。総選挙の結果がわかって、「あー、これはもう安倍政権ができる」と思った時に、「どうしよう、何か本音がしゃべれるところが欲しい」と思ってTwitterに呟き始めたんです。その時は、前川喜平という名前はもちろん出してはおりません。「右傾化を深く憂慮する一市民」と言う名前でですね、やっておりました。一時は非公開にしたこともありましたが、ちょっと思うところございまして、6日ほど前に心変わりしまして、いまはもうボロクソに言っているわけです。

望月:「思うところ」って何があったんですか? 

前川:いや、ふと思っただけです。こういうのって、もういいやって感じでね。とにかく「この政権マズいよ」という気持ちになっちゃった。

司会:選挙に出るなんて声もありますが? 

前川:全然、それはないです。私はとにかく、永田町から離れられたということがものすごく嬉しくて、いまはもう第二の人生を謳歌しているわけですから、またあんなところに戻るなんて、あの政治家の群れの中に入るなんて、考えただけでゾッとするわけです。

――第二の人生を謳歌しているそうで、なによりである。話題は「老後は年金以外に2000万円が必要」と金融庁が作った報告書に及ぶ。


日本女性の課題=人権意識の低さ=レイプ文化容認体質<本澤二郎の「日本の風景」<3348>

<中根千枝さんも認識していない日本の強姦文化>

 日本女性の知性を代表する中根千枝さんの記事を見つけた。女性の地位に関するもので、願わくば、もう一歩踏み込んだ日本人女性の人権意識の低さ、そこから派生する強姦・レイプ文化言及してもらいたかった。要するに、日本人女性の課題についての本源的な問いかけ・解決策がないのが、現代の悲劇的な現状ではないだろうか。



<「木更津レイプ殺人事件」被害者の声なき声>

 かくいう筆者も4年ほど前までは、全くわからなかったし、そこに日本政治の限界があることなど理解の及ばないところだった。



 富津出身のやくざ浜名に強姦・性奴隷の挙句、逃げ出そうとしてドーカツされるや、ショック死した木更津市の美人栄養士の悲劇過ぎる性凶悪犯罪を取材している過程で、常に脳裏をよぎっていた懸念材料は、なぜ警察に駆け込もうとしなかったのか、という点である。



 その理由を女性は、当たり前のように知っていたのであるが、それを決して口にしない。そのことを全く理解できなかった。中根さんは知っているに違いないが、理性が壁となって声を上げない



 強姦されて公然と、警察に駆けこんで、自ら顔を出して犯人のTBS山口強姦魔に迫った伊藤詩織さんは、木更津市の美人栄養士とは違った。彼女の高い人権意識と勇気と正義に対して、深く敬意を表したい。伊藤さんのような女性こそが、もっとも人間らしい女性であって、日本のレイプ文化を退治できる女性指導者といえるだろう

 伊藤さんは、強姦魔を退治して、日本を代表する女性指導者となる運命を背負うことになろう。

 悲しいかな中根さんは、ここがわかっていない質問内容も関係したろうが、わかっていて声を上げないのであろう。日本にとってレイプ文化を排除できない点が致命的と言わないのか、である。



<やくざに強姦されても110番通報できない日本人女性>

 「木更津レイプ殺人事件」の被害者のKT子さんは、秋田県由利本荘市で子育てをやり遂げた気丈な女性だった。父親を知らないで子供時代を過ごした戦争遺児の信念は、強力だった。母親の手一つで育った不憫な子供時代を乗り越えた、ある種の力強さを感じるもの

 しかも、絶対という信仰の持ち主だった。池田大作氏を信仰の師と仰ぐ強固な意思は、鉄のように硬かった。しかし、彼女に襲い掛かった強姦魔は三本指の入れ墨やくざだった。凶器とドーカツを得意とする職業犯罪だった。



 かくして彼女は、ついに警察に駆けこもうとせずに死を選んだ。すなわちやくざの「ばらすぞッ」という殺人的脅しに屈してしまった。悲劇、悲劇、大悲劇の中で、二つとない命を奪われてしまった。中根さんならどうする?聞いてみたいものだ。

 

男尊女卑の日本に真の女性リーダー不在>

 日本に女性リーダーは、戦前戦後という長い年月を経ていながら、まだ現われていない。日本の強姦文化退治に突進した指導者はゼロである。悲しい悲しい、これが真実の日本である。



 強姦は女性の全人格を奪うことである。格子無き牢獄に入れるに等しい。殺人に相当する。強姦魔は極刑にすべきなのだが、その声が女性弁護士の側からも聞こえていない。

 戦前からの男尊女卑の文化、半封建性のままの日本人女性の人権意識のもとで、やくざなどの強姦魔が跋扈してやまない日本に、依然として変化ない。政府は女性を要職につけることで、問題を処理しようとしているが、これは次元が違う。



 教育が悪い。悪すぎる。教育の質が正しくない。義務教育には女性教師が多いのにもかかわらず、女性の人権意識に変化がない。不思議だ。日本政治の劣化原因でもある。

 肝心かなめは、知性よりも人権意識の高揚である。伊藤さん事件を我が事として、官邸を叱り飛ばす、全女性の人権意識の高さが重要なのである。それが全くない。レイプ文化容認体質が居座る日本に、明るい前途を期待することは絶望的に困難である。

2019年617日記東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)



鬼頭志帆

「序列のある社会は本来、女性にはプラス」東大初の女性教授・中根千枝氏の助言

6今年4月、東京大学入学式での上野千鶴子名誉教授の祝辞が波紋を広げた。「2割の壁」を超えない東大の女子学生比率の低さなどに触れ、「どうせ女の子だから」と足を引っ張る社会の問題を指摘した。10年前、東京大学大学院の入学式で、上野氏と同じように女性を取り巻く社会環境について祝辞を述べた女性研究者がいる。東大初の女性教授で社会人類学者の中根千枝さん(92)だ。なぜ日本では女性の活躍が進まないのか。中根さんに聞いた。(ノンフィクション作家・河合香織/Yahoo!ニュース 特集編集部)

歴史的に「女性は学問しなくていい」という思想

東京・城南地区の集合住宅。92歳の中根千枝さんは車いすに乗って現れた。柔らかな表情にはつらつとした話し方は年齢を感じさせない。中根さんは2009年の東大大学院入学式の祝辞で「本業としての研究者や確立された組織の管理職についている日本の女性の割合は先進国などと比べて一番低い」と述べた。問題意識は上野さんの祝辞と通底している。

――中根さんの祝辞から10年経っても女性の比率が問題になります。なぜでしょうか。

外国に比べて、日本では要職につく女性の比率が少ない。その原因の一つは、日本の歴史上「女性は学問しなくていい」という思想が強かったことにあります。

さかのぼると、紫式部がいた平安朝はよかった。紫式部は勉強熱心で、『史記』など中国の古典を相当読んでいたことが明らかになっています。平安時代が続けば、日本の女性もそんなに悪くなかったと思う。でも、その後、武家社会となり、戦乱が江戸時代の初めまで断続的に続き、女性にとって学問は重視されなかった。

海外はそうじゃないの。たとえばインド。階層社会で、上流階級の家では学者を呼んで家で講義をさせる。そこには女の子も当然入っている。フランスなど欧州にも女子に学問をさせる文化がある。

(撮影:鬼頭志帆)

だからね、日本で女性が役職につけない一つの理由は、学がないからです。世間のことと学問のこと。その両方で訓練された女性が日本では全体的に出てこないのね。

――進学における男女差について、上野さんは「どうせ女の子だし」と水をかけ、「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の意識の結果だと語りました。そして、ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんの父親が「娘の翼を折らないようにしてきた」と語った話から、多くの娘たちが翼を折られてきたと訴えかけました。

そういう側面は確かにありますよね。家庭環境は大きいでしょうね。私の友達でもとても真面目で優秀だったのに、封建的な家庭に育って、翼を折られてしまった人もいます。

ありがたいことに、私の父は「女だから」という意識は全くなく、子どもの私と麻雀をして負けると本気で悔しがるような人でした。「東大に行くなら法学部に行けばいい」と勧められたこともありましたけど、「私は東洋史がやりたいの」と言い返したら、それ以上は何も口出しされませんでしたね。翼を折らずに見守ってくれたことに感謝しています。

中根さんは1926(大正15)年生まれ、弁護士だった父親の仕事の関係で幼少期を中国の北京で過ごした。津田塾専門学校(現・津田塾大学)卒業後、終戦後の1947年、女性に門戸を開いた東京大学に入学。東洋史学を専攻した。1958年から東京大学東洋文化研究所講師となり、1970年には東大で女性初の教授に就任。その後も女性初の研究所長、女性初の日本学士院会員と「女性初」を更新し続けてきた。

女性”と特別視されなかったのがよかった

――学術の場で中根さんが「女性初」を更新し続けられたのはなぜでしょうか。

女性初というのは意識したことはありません。女性第一号なんて、人生の長いプロセスの一点にしか過ぎないでしょう? 女性初だと一生栄誉があるかって言えば、実は何もないもの。

戦争が終わってすぐにモンペを脱いで、空色のワンピースに着替えました。東大受験では、周りからは「男の子は頭がいいから、女の子は無理でしょう」と言われましたが、私は女子校にいたから男の子がどれくらい勉強できるか分からなかったの。

1947714日、「女性進出・東大に女子学生」と毎日新聞が報道。中根さんが入学したのも同じ年だった(写真:毎日新聞社/アフロ)

私は中央アジアのことを知りたかったから、東洋史学科に入りました。その時の主任教授が私の卒論にとてもいい批評をしてくれたの。「あなたは小さいところを細かく突っ込むよりも、大きく見て、その大きさの中から何かを生み出すことが好きですね」と。

男女の違いなんて言わず、純粋に理論的に指摘してくれたから、とっても気持ちがよくてね。その時に、「女でもできましたね」なんて言われたら、きっとがっくりきていたでしょうね。

序列ある社会は女性にはプラスのはず

中根さんの代表作が『タテ社会の人間関係』(1967年)だ。現在まで累計117万部のロングセラー。世界各国でも翻訳されてきた。資格(学歴、地位、職業など)や能力による「ヨコ」のつながりではなく、会社や学校など集団内の年功序列という「タテ」の関係によって規定される日本社会の様相をインドや欧米と比較して鮮やかに描き出した。2016年度の東大学位記授与式で五神真総長は本書に触れ、「人間の社会そのものの普遍的な性質について、新たな考察の視点をもたらした」と賛辞を送った。

(撮影:鬼頭志帆)

──中根さんが東大初の女性教授になった時、新聞は「タテ社会のトップに立つ」と報じました。女性がトップに立つこととタテのシステムはどう関係するのでしょうか?

男女のことでうるさく言う人も、先輩後輩は大事にするでしょう。それがタテのシステムです。後輩が先輩になるっていうことはないし、どんなに意地悪をしても先輩後輩の関係は絶対に変わりません。だから、タテのシステム、序列のある社会は本来、女性にはプラスなんです。女性だって会社でエレベーターで先輩に「お先にどうぞ」とやるでしょう。あれがタテのシステムを守っている強い証拠です。私もタテのシステムに入ったからこそ、教授になれたんだと思います。女性で意地悪するみたいなのは、タテのシステムとは別の話ね。日本は先輩後輩の社会なので、女性だからといって入れないことはないの。

――どんな人にも先輩後輩はある。けれども、力のあるタテのシステムに入れるかどうかでその後が変わってくると。

そうですね。たとえば学校を例に取ると、東大のシステムに入れなかったというのは、勉強ができなかったからですよね。その理由は、本人の問題だけではなく、さきほど申し上げたように、女性が学問をすることを重視されてこなかった歴史的土壌や家庭環境、翼を折られてきた背景があるからです。

(撮影:鬼頭志帆)

――日本の女性は資格や能力、性別などでつながるヨコの連帯を強めるべきなのでしょうか?

いえ、私自身は東大でも「さつき会」(1961年発会)という女子卒業生の同窓会団体に誘われたこともあったけど、一度も行かなかった。同じ女性だけ集まったってしょうがないと思ったから。

ただ、女性に対する問題は依然として存在しています。昔から日本では年齢の高い女性をあまり尊重しないでしょう。一番いいのは若いきれいな女の子よね。それが問題なんです。銀行とかね、窓口にきれいな子が並んでいるでしょう。若くてかわいい女性がいると客がもっと来るっていう考え方があるわけです。でも、お客さんにとって大切なのは時間でしょう。それなら、決定権がある人が窓口にいてほしい。窓口には経験と知識がある人がいたほうが、ずっと能率が上がると思います。そういう理解になっていないのが日本の問題なのね。

結局、「かわいい」なんてことを優先させているのは、日本社会は知性を本気になって考えていない証左だわ。

不利な条件に対して賢く対応する術を

東大の入学式で上野さんは、東大の女性比率は学部生でおよそ20%、大学院修士過程で25%、博士過程では30.7%まで上がる。さらにその先の研究職になると、助教で18.2%、准教授で11.6%、教授で7.8%と役職が上がるごとに女性比率はどんどん低下すると指摘した。企業の幹部構成でも同じように上位になるほど女性比率が下がるケースが指摘されている。

(出典:東京大学、図版:ラチカ)

――中根さんは10年前の東大大学院の祝辞で、社会環境によるマイナスは女性の方が大きいと述べていました。結婚や出産など揺れ動く要素が少なくない時期に、研究への情熱を続けて持つことが大切であると。

そうなの。祝辞でも言いましたが、女性の方がいろんな “雑音”が入りやすいですからね。だから、女性が社会に出ることについて、日本では制度的に不利なこと、社会の理解が不十分であることがよく指摘されますよね。

でも、私がアメリカやイギリスで大学院を担当した経験からみますと、日本の女性は、研究に対する心構えが弱いように感じました。私が接した外国の女性たちには、個人を取り巻く障害に対する強さがありました。日本の女子学生にも不利な条件に対して賢く対応する術を持ち、努力をしてほしいと思います。

――日本の女性にも個人としての強さを持ってほしいと。

私は戦後間もない時代に、象しか交通手段のないインドの奥地に調査に行ったんです。人間社会における未開と文明の意味を社会人類学的に調査するのが目的でした。当時は寝袋などもなかったため、ポーターを雇って、折りたたみの木製のベッドを持って、食料も持参していく。ベッドのない地域では、大木を二つに割って平らな方をベッドにしたこともあったの。

(撮影:鬼頭志帆)

ジャングルで危険なのは「マンイーター」という人間の味を覚えてしまった人食いトラでした。そいつが来たら大変なので、現地の人たちは木の上で見張りをしていて、教えてくれるのね。そんなところに女性が一人で行くというのは、確かに当時の日本としては、珍しいことだったかもしれませんね。多くの人から無理だと言われました。でも、女だからとか男だからとか自分に制限を設けずに、一人で自由に心の赴くままに調査したかったのです。

私は生涯独身でしたが、もし結婚していたとしたら、これだけ研究に没頭はできなかったかもしれないです。だって、何カ月も一人でジャングルの奥に行っちゃったりするから。やっぱり相手がいたら、ちょっと気を使うじゃない。

(撮影:鬼頭志帆)

――自由に研究に没頭したいから結婚は考えなかったのですね。

そう簡単にも言えないわよ。いい人がいたら、って思うこともありました。ただ、1952年に東大に助手になった時は、教授会では反対の意見も多かったそうです。「女性は結婚したら、研究をやめちゃう。だから、研究職にしなくてもいいだろう」って。私はたまたまいい相手がいなかったことと、研究に没頭する時期が一致したんだわ。

インドの女性は家でマネジメントを学ぶ

――国際労働機関(ILO)の報告書によると、2018年に世界で管理職に占める女性の割合は27.1%ですが、日本は12%にとどまり、主要7カ国(G7)で最下位。アラブ諸国と同水準とされています。

それはやっぱり伝統と関係があるわね。例えばインドや中国では、家庭のウチとソトを区別しています。ソトの関係は男性がトップ。でもウチでは、女性の最年長者がトップなのよ。最年長の女性は、男性を含む大家族の中のトップで絶対権限を持つの。だから女性がトップであるということには慣れてるのよ。それは女性が社会に出てトップとして活躍するのに、とても都合がいい。

インドの女の人は、若くても早く最長老になりたいと思うの。権限を振るうのがとても楽しみなのね。そういう雰囲気に育つから、マネジメントがうまいわけよ。日本には女性でそういうマネジメントを学んだり、生かしたりする場面がない。日本ではウチ、ソトの区別をせずに、「女の子だから」と言われて育っちゃうでしょう。マネジメントは経験がないと駄目なのよ。

(撮影:鬼頭志帆)

――上野さんの祝辞で最も反響があったのは、東大生は頑張れば報われると思ってここまできたが、頑張っても公正に報われない社会が待っていると語った部分です。そして、「あなたたちの頑張りを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれない人々を助けるために使ってください」とノブレス・オブリージュ(身分の高い人がもつ社会的責務)とも受け取れる内容を話していました。

日本には階層がなく、「連続」の思想です。つまり、自分はあの人より持っているが、でも上には自分よりももっと持っている人がいる、という相対的比較の社会。だから、上層の者にはその特権を持たない人のために一定の義務がある、という思想、ノブレス・オブリージュが根づいていない。「もてる者」が「もたざる者」へ援助する思想が希薄なのです。

ですが、これからは女性の問題を含めて、自分だけ良ければいいという社会ではなく、もたざる者、あるいは、頑張りたくても頑張れない人へのまなざしが重要になってくるのではないでしょうか。

(撮影:鬼頭志帆)


河合香織(かわい・かおり



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