2019年危機(12)退位天皇の無念<本澤二郎の「日本の風景」(3279)
<「令和」の大友旅人の無念を万葉学者が解説>
ごく普通の日本人は万葉集を知らない。教科書で少し教えられた程度である。実は、新元号の梅かおる大宰府の「令月」の旅人の心情は、信頼する都の長屋王の自害に、悲嘆にくれたものだった。出版編集者が、本物の万葉学者・品田悦一氏の解説文をメール送信してくれた。
<大宰府の梅は大陸との交流の成果>
寒さにもめげない梅の花は、桜よりもずっと早く咲き誇る。大宰府のそれは、日本海から吹きまくる冷たい風に抗して、可憐な花びらで、周囲を明るくさせて美しいが、大友旅人の当時の心は、凍り付くような心で、そんな平凡なものではなかった。
現在も梅が盛んな大宰府は、その昔から大陸との交流の深さを証明している。樹木以前に人の交流が多かった。大陸の文物の伝来も豊富だった。
<歌群の序文は中国・後漢の漢籍から引用>
歌の序文である「令月」は、後漢の書を引用していることは、すでに明らかになっている。安倍晋三の「国書」が原典という説明は、文句なしに間違いである
。所詮、無教養なシンゾウにとって、それはどうでもよいことだった。反戦平和の平成天皇を退陣させる、という皇室との争いに勝利したシンゾウである。新元号を自ら公表したことで満足だったのだから。
梅の美しさを、平凡に歌った万葉集では全くなかった。背後には、都での血なまぐさい権力抗争が繰り広げられて、敗者の側の旅人の怒りが蓄積していた。いまの永田町の権力抗争と変わりない。当時は、富岡八幡宮事件のような刀剣で人間の命を奪うような、凄まじいものだった。
<長屋王殺害に悲嘆にくれる旅人>
飛鳥時代から奈良時代にかけての皇族・左大臣にもなった長屋王が、いうなれば大友旅人が信頼し、仕えた人物だった。
彼らの前に立ちふさがったのが、藤原四兄弟だった。皇族にも入り込み、ついには天皇を生み出した藤原家に長屋王は抵抗した。側近の旅人は、大宰府に追いやられ、ついには長屋王は敗れて自害。悲嘆にくれる旅人は、宴を開き、歌会でもって、その無念を行間に忍ばせた。
<「権力の横暴を許せない・忘れられない」が真意>
「どうかわたし(旅人)の無念を、この歌群の行間から読み取ってほしい。長屋王を亡き者にした彼ら(藤原四兄弟)の所業を、どうしても許せない。権力をかさに着た者どもの、あの横暴は許せないどころか、片時も忘れることができない」と品川氏は解説している。
この解説文から「権力の横暴を極める藤原一族はだれか」と聞かれると、多くの日本人は即座に納得するだろう。現在の長屋王は、平成天皇かもしれない。
<反戦平和の天皇を追い出した一族とは?>
平成天皇は、姿ばかりでなく態度からも、誠実な人間として評価できる。親しかった島村伸宜元農水相は、天皇とは学習院同期だから、彼から人となりを聞いたものだ。
彼が面倒を見ていた中国人の宋さんの計らいで、一緒に北京を訪問したこともある。中曽根康弘側近でも知られたが、彼は農業・環境問題にも首を突っ込んだ。中曽根は平成天皇よりも、大室寅之助の明治天皇を尊敬していたが、現在の日本国民は反戦平和の平成天皇に違いない。シンゾウを含めて国家主義者は、好戦派で刀剣を手にした明治天皇が好きらしい。
幼くして敗戦の惨状を目撃、アメリカン・リベラルの洗脳を受けた平成天皇こそが、日本国憲法が期待する象徴であろう。旅人の心境で今を眺めている国民は、決して少なくないだろう。
2019年4月9日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員
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