子供と教師<本澤二郎の「日本の風景」(4438)

<東京新聞5月5日付1面トップ記事にがっかり!>

珍しく玄関に東京新聞(中日新聞東京本社発行)が置いてあった。子供の日である。1面に子供たちの楽し気な顔が複数映っている。大見出しが「私たちの声聞いて」「小中学生のうったえ」とある。いじめや虐待に問題を絞ったもののようだが、正直なところ当てが外れた。子供教育・子供を教える教師・文科省に問題はないのか?ピンボケ?そんな思いを強くした。


 子供たちの思い・価値観は、教師への信頼・影響力が圧倒的に強い。いい先生に教えられた子供と、そうでない場合は、大人になって様々な岐路に立たされると、そこに大きな差、それは教養から人格にも及ぶ。特に近現代史と続く9条憲法の誕生には、避けがたい因果がある。


 嘉悦女子短期大学と二松学舎大学で教壇に立って強く、強く感じたことは、今の若者は歴史を知らない、大事な日本国憲法について全く教えられていない、教えられても教え方に問題があって、忘れてしまっている!教師の良しあしが極めて大事なのだが、これに文科省の姿勢も輪をかけて、社会人としての大事な知識・教養を身につけさせない。視野の広い、考える批判力のある国際人に育たない。この点が一番の子供と教育の課題である。いじめは許されない。あってはならないが、教師の熱意で相当程度抑制できるものだ。


 筆者も中学・高校の社会科の教師の資格を持っている。資格を取る最終場面で、東京・千代田区の九段中学校で研修、楽しい思い出が今も残っている。幼い精神のため、不見識な対応をして社会科教師に恥をかかせてしまったことも。

 音楽室でベートーベンの「田園」を初めて、一人で聞いて、その美しい音色に感動した。以来、何度も聞いた。自ら学んだ田舎の中学校の施設と比較すると、都心の一流中学に比べると、余りの落差にも驚かされた。そこは麹町中と並んで進学校といい、千葉県など遠方から越境通学する生徒も多かった。金持ちの教育熱心が、子供同士の落差をいち早く作り出していたことに、複雑な思いをした。富裕層と貧者の教育落差が、大学や社会生活においても決定的な格差を作り出し、幼くしてその原因の種がまかれていた。

 貧しい家庭の子弟は、いい学校や資格試験から排除されるシステムが、憲法の教育の機会均等という立派な規定のもとで、見事に絵空事であることも。

 せめて有能な人材は、暮らしとは関係なく、平等に扱われることで、いい人間・いい社会人・いい役人・いい政治家の世界にすべきだろう。民主主義は育たない。いじめなどに矮小化して、何も世の中のことを理解していない子供の声を聞けば、それで足りるわけではあるまい。新聞人に猛省を促したい。


<子供の人生・価値観は教師の影響が大きい>

 筆者と同世代の法律家は、孫のことに心配を抱いていた。というよりも、学校教育を担当している教師らのお粗末さを嘆いていた。ゆえに無事に中学を卒業して、ことし高校生になった孫のGWの来訪に、それなりの覚悟をもって自宅に迎え入れた。

 今のうちに少し叱り飛ばさないと大変なことになる。今年から18歳で、選挙権を行使することになる。あと2年で大人だ。やはりしっかりと基本を教え込んでおこう、と決意をみなぎらせていた。


 高校一年生の孫との対話が始まると、意外な展開となった。法律家の不安は杞憂に過ぎなかった。

 孫は、卒業を待って中学の校長に電話を入れて抗議した。理由は真っ黒な髪をしていない、大事な生まれつきの友人に対して学校は、理不尽にも「髪を染めろ」と指示してきた。半ば強制的な指示に友人は、渋々応じるしかなかった。孫は卒業後にそのことを校長に「人権侵害だ。謝罪せよ」と迫った。校長はたじたじとなった。

 孫の説明に法律家は納得した。相手が間違っている場合、泣き寝入りしない立派な孫の振る舞いに感激した。「なぜ校長が不当な指示をした時点で抗議しなかったのか」と問いかけると、実に振るっていた回答が飛んできた。

 「在学中だと内申書に影響が出る。在学中は無理だった」とこれまた正解である。われも唸ってしまった。内申書?


<内申書が高校進学に影響することを知っていた孫>

 筆者は子育てをすべて妻に任せていた。のちに「何度学校に呼びつけられたことか」と笑って教えてくれた。しかし、これは本人にとって重大なことだった。

 近くの公立校で失敗した。なぜか、今もって不思議に思ってきた。そうか、内申書か。今は理解できる。担任の覚えをよくしないと、いい学校に入れない。法律家の孫は知っていた。我が家は親も本人も気付いていなかった。

 子供のころは、少し暴れるくらい元気に育ってもらいたい、と思い込んでいた。内申書の重みに気付くのが遅かった。さすが法律家の孫は賢い。我が家は子供の教育に失敗してしまった。 


<歯を食いしばって抵抗を一時中断する賢い生徒も>

 学校と対立する元気な子供が少なくない。昔からだ。しかし、賢い生徒は内申書のことを知ると、賢く振る舞うのである。賢い行動が出来ないものは、いい高校に入れない。

 思えば、末っ子は高校生の時、僅かに通学時間から遅れた。これに若い担任教師が暴力で制裁してきた。息子らは怒りを登校拒否で抵抗した。その日の夜、同僚の母親の通告で、どこかに雲隠れしてしまったことが分かり、学校と父兄とで子供探しを始めた。この時は驚いた。夜中の捜索が始まった。長男が知恵を出してくれた。場所は渋谷駅周辺という。果たして信じていいのか?木更津市から渋谷駅?見当もつかない。お金もない。無銭飲食で捕まるか、最悪はやくざの奴隷にされ、永久に姿を見せなくなり、やくざ同士の戦争で命を落とす?最悪のことも脳裏をかすめた。もはや暴力教師のことなどすっかり忘れて、末っ子探しに狂奔した。

 幸い、当てもなく深夜飛び込んだ喫茶店の奥で、疲れて寝込んでいる息子ともう一人を見つけた。この時の父親の安堵は、とても第三者に説明できない。学校に抗議することも、本人に諭すことも忘れ、ただ無事を喜んだ。学校は警察にも連絡しなかった。


 学校や教師の暴力に対して、直ちに抗議の意思を行動で示した息子、他方、その時はじっと耐えて卒業した後に逆襲した法律家の孫、後者の知恵に軍配を上げたい。


<近現代史をしっかり教えて、世界一の9条憲法を教える義務>

 戦後50年の1995年に50人の仲間と南京と盧溝橋を旅した。その中に高校教師がいた。帰国後の感想文に喜んだ。

 彼は「これから自信をもって戦前の侵略史を教えられる」と答えたものだ。教師も近現代史を知らない。従って南京も盧溝橋も731部隊も、植民地支配のことも知らないまま大人になっている日本人。安倍も小泉もそうである。靖国神社は「戦争神社」なのだ。「神の国」論者は、死の商人に突き動かされて、軍拡改憲を叫ぶ危険極まりない国粋主義者の危険な輩なのだ。

 「日本もこれから近現代史を教える」と公約した首相は、三木武夫側近の海部俊樹のシンガポール宣言である。

2022年5月8日記(東芝製品不買運動の会代表・政治評論家・日本記者クラブ会員)

フクシマの現実<本澤二郎の「日本の風景」(4437)

<ポーランド人カメラマンのリアル・フクシマを忘れるな!>

http://www.asyura2.com/15/genpatu44/msg/318.html

これがフクシマのイマだ。ポーランド人の写真家が撮影したリアルフクシマな33画像が世界に衝撃を (2015年)

 ヨーロッパというと、ひどく遠いという印象が強かったが、最近はチェルノブイリの場所も分かってきたし、そこでは現在も森林火災やロシア軍の侵攻で放射能被害が重くのしかかって悲劇の連鎖が分かってきた。それでも、日本の政界や言論界は、本来の人道支援にソッポを向いて、戦争当事国の一方に肩入れして恥じない。


 ヨーロッパとウクライナのチェルノブイリは、とても近い。放射能被害の恐怖を抱いてきた国だ。311のフクシマを見て、ドイツのメルケル首相(当時)が即座に原発廃止を決めて、世界を驚かせた。それも今は理解できる。同じくウクライナの隣国・ポーランドのカメラマンが、311の4年後にフクシマを訪ね、カメラのシャッターを切った事情も分かる。


 チェルノブイリは、今後もずっと100年前後にまで尾を引くことになろう。同じくフクシマも100年以上も、人々の健康と精神と国の財政をいたぶり続けていくことも。廃炉に100年かかることも専門家であれば、当たり前のことなのだ。

 そのための100年の計がフクシマにも日本政府にもない。「今だけ」なのだ。「放射能は心配ない」とうそぶく安倍晋三という、戦後政治史上最も危険なナショナリストのもとで、今も鉄板で蓋をかけている。原子力ムラがフクシマを監視・抑え込んでいるのである。


 本日、ポーランド人カメラマンの2011年3月11日から何も変わっていないフクシマの現実を、忘れっぽい日本人のため、そして将来の多くの外国人観光客のために知らせる必要があろう。被ばく地・フクシマの碑を観光資源にするといい?


<チェルノブイリを経験してフクシマに飛び込んでシャッター切る勇者>

 このカメラマンの写真を、日本人カメラマンなら誰でも撮れそうだが、それは違う。チェルノブイリを知るカメラマンでなければ撮れなかった。世界的反響を呼んで当然だった。是非とも記録して時折、見てほしい。


 安倍のような狂気のナショナリスト・国粋主義者は、日本も核を持て、とか軍事費を倍額せよ、などと日本会議と財閥の野望をがなり立てている。恐ろしい魔神である証明ではないだろうか。日本国憲法が許容しない、排除すべき人物と断罪すべきだろう。

 長州は山口県民の判断にゆだねられている。捏造された明治史からの解放が求められている。世は21世紀である。国家神道と教育勅語の日本帝国に回帰することは、到底許されない。


<福島県は汚染地区とそうでない地区を内外に明らかにできるか>

 福島県民に問いかけたい。なぜ原子力ムラの知事を選ぶのか。なぜ佐藤栄佐久のような知事を追放して、平気でいられるのか。

 筆者は、彼が護憲リベラルの宏池会に所属していたころ、数回彼の参院議員事務所でおしゃべりしたことがある。東北人特有の実直で、物静かな人格者との印象を強く抱いたものだった。


 彼は、311を予言するかのように、東電福島原発の危険性を知悉していた。ひょっとして4号機で核弾頭の実験していた?という恐ろしい事実を知っていたのではないだろうか。日系アメリカ人ジャーナリスト・島津洋一レポートは、安倍をA級戦犯と断罪したが、これは本当かもしれない。オウム真理教は、そのための仕掛けの一つだった?違うだろうか。


 福島県民に問いたい。放射能汚染地区とそうでない地区があるのかどうか。汚染の濃淡はどうか。もしも、汚染していない地区があるのであれば、そこがどこなのか、どこが危険地区なのか。首都圏にも被害が及んでいる。コンクリート壁の国会議事堂内は安全だろうが、それ以外はどうなのか。汚染地区の子供の健康はどうなのか。11年経っても、これがいい加減だ。どうしたことか。


<原子力ムラ支配の県政と手を切ることが出来るのか>

 日本国憲法は、日本国民が主人公であることを明確に規定した。いかがわしい人物を罷免することも出来る。福島県にも法律家がいるだろう。原子力ムラと無縁の人物を、知事や市長に選ぶことが、政治の基本である。


 愚かすぎる札びら政治を踏襲していると、100年かかっても福島県民の健康と幸せは約束されないだろう。佐藤栄佐久元知事が健在であれば、いい人物を選んでもらうのも悪くはない。「今だけ・自分だけ」の役人に、いい人物はいない。人材は市井の中にたくさんいるだろう。


<房総半島の放射能汚染物質の投棄で新たな闘いが始まった!>

 森喜朗は小渕恵三が倒れた後、池田行彦抜きの談合で政権に就いた。清和会による「神の国」へと彼は舵を切った。森は運動関係で早稲田に裏口入学組、政界ではA級戦犯逃れの岸信介が指揮した、血盟の反中グループ「青嵐会」で、三文作家の石原慎太郎らと暴れまくった。この中には、れっきとしたやくざ代議士もいた。石原は知事になると、東京五輪計画をぶち上げた。


 これが311フクシマ隠しであることだと直感した。従って、4兆円五輪賭博は、コロナでも強行した。忘れかけていた放射能汚染地区が凡人ジャーナリストを覚醒させた遠因である。半年ほど前に旧動燃「もんじゅ西村成生謀殺事件」を書くと、そこにフクシマとチェルノブイリの子供の救済に奔走する被ばくジャーナリスト・竹野内真理のファイルが飛び込んできた。


 同時並行して、2010年4月7日に東芝病院で命を奪われた次男・正文の医療事故死が、精神を揺さぶってきた。その東芝製原発3号機が、なんと核爆発を起こしていた。この二つのことに、東芝は反省も謝罪もしない、悪徳ブラック企業の代表格である。

 東芝(原子炉メーカー)・経産省主導内閣・自民党商工族議員・東電(311)フクシマが、この10年の日本政治を動かしている原子力ムラの枢軸であることが分かってきた。日本の権力中枢を牛耳る悪魔の原子力ムラによる犠牲者は、もんじゅ西村成生謀殺事件だけではない。東電の渡辺泰子さん謀殺事件ほか、優秀な正義の学者やジャーナリストが亡くなっていることも分かってきた。


 そして足元でも放射能重大事件が起きていた。君津市に次いで、袖ヶ浦市でも、汚染物質が水源地に投棄されていた。そのことに千葉県も袖ヶ浦市も沈黙している。自民党と公明党も無視している。共産党に情報を提供しても動かない。これはどうしたことか。原子力ムラの悪魔的治政に驚愕するばかりだ。

 フクシマは日本列島へと波及していると指摘したい!

2022年5月7日記(東芝製品不買運動の会代表・政治評論家・日本記者クラブ会員)


<子供救済=竹野内ファイル=こちらも参考になるよ!>

mariscontact@gmail.com

https://maritakenouchiyoutube.blogspot.com/2022/04/2022426chernobyl.html

http://savekidsjapan.blogspot.com/2022/04/us-department-of-defense-awarded.html

http://savekidsjapan.blogspot.com/2022/02/the-true-cause-of-war-us-bio-weapon.html

自然と人間<本澤二郎の「日本の風景」(4436)

<癒しの世界に帰省客と破壊の人間社会の悲しい連鎖>

 房総半島の田植えはほぼ終わった。我が家の東側の巨大な10町歩以上の稲の苗床の巨大なビニールハウスは、3棟とも空になった。機械化農法の威力に毎年驚かされている。山野は緑一色、といっても無数ともいえる濃淡の緑で燃えたぎっている。時間差や視覚によっても変わる。大自然の物凄いエネルギー・威力に圧倒される。今は蚊もいない、虫も少ない最高の自然界である。


 気候変動にもかかわらず、自然は何も知らずに自転する地球に身を任せて、すべての生き物・人々に癒しの世界を作り出してくれる。鶯のさえずりも際立ってきた。わが家庭菜園というと、ジャガイモが元気に緑の葉を誇らしげに広げ始めた。イチゴは元気だが、まだ分からない。数本のキウリやナスも不明だ。順調だったソラマメは、最近になっておかしい。野菜作りも簡単ではない。その点、数本のブルーベリーに期待が集まる。無農薬で手がかからないのが素晴らしい果樹の王様だ。


 GWに都会の住人が、コロナを蹴飛ばして帰省するサマは、自然の癒しに期待しているからだろう。待ち受ける老いた夫妻の喜びだろう。そう田舎は、老人社会になってしまって久しい。


 だが、人間の世界は、明らかに壊れている。ロシア・ウクライナ戦争は、国家に振り回される人間の、もっともおぞましい悪魔体質を露呈して、それに各国政府と言論界が振り回されて、人々の脳裏を攪乱している。人殺しの武器に抵抗感を失っている。宗教の存在感もゼロだ。

 それどころか凡人にも、信じられないような、不気味な破壊の音が聞こえてきているが、そのことを分かりやすく説明などしない言論界だ。


<アベノミクス黒田日銀に殺されかねない日本の民衆>

 米国の金利が0・5%も跳ね上がった。これが何を意味するのか?日米の金利差確定で、日本円の価値がぐんぐんと下がっている。円を売り米ドルを買う

、凡人の知らない闇の基金が、膨大な金額で転がって、日本の資産がニューヨークへと流れている。アベノミクスの崩壊で、四苦八苦している企業と市民生活を直撃している。

 「日本国民のなかには塗炭の苦しみを味合っている。そこに爆弾を落とされている。小麦や食料品がぐんぐん高くなる。ゼロコロナで生活を奪われている上海市民のような事態も」と金融政策に明るい友人の指摘である。


 このさい、豪州米を食べようと言わせてもらおうか。先日のことだが、市内の業務スーパーで買ったのだが、日本米の5キロの値段で、豪州米だと10キロも買える。いまそれを食べている。日本米の味の良さを忘れた人間には、まずまずの米である。昔は米カリフォルニア州の米が話題になった。これからは豪州米がいいかもしれない。


 またしても最近になって、気になるのはフクシマの米である。新潟のコシヒカリに化けている?本当かもしれない。放射能と共存させられている福島県の農家は、哀れを通り越している。若者の甲状腺がんも悲惨だ。チェルノブイリの教訓を、原子力ムラは守ろうとはしていない。恐ろしい事態は福島200万県民だけだろうか。気が付いたら、隣の袖ヶ浦市や君津市にも放射性物質のがれきやらが投棄されているではないか。やくざ代議士が君臨した地区だ。政党も役人も逃げている。いずれ米や農作物にも影響が出る。どうするか?放射能物質を全国にばら撒くとなると、日本列島の農産物と水産物を食べると、内部被ばくする。ひどい場合は奇形児が生まれる。これは冗談で言っているわけではない。因果応報は100%成立するだろう。


 急騰する食料品や原材料は小麦だけではない。既に便乗値上げが始まっている。エネルギー関連もすさまじい。この時とばかりに電力やガスも高騰しているではないか。人々の財布は破壊されていく。


 アベノミクス推進に舵を切ってきた日銀総裁の黒田東彦に対して、財界から国民一般にまで非難が殺到している。ゼロ金利下で、円を輪転機で刷りまくることで、円を安くして財閥を太らせる手口にクレームがついたことでもある。

 欧米は紙の札を刷りまくる政策を切り替えた。日本の黒田は、変えない。間違いを糺そうとしない。なぜか?「役人は死んでも自分の過ちを認めない。官僚の無謬性」というしたたかすぎる黒田のお陰で、民衆は悲惨な生活を強いられることになる。


<テレビは詐欺商法を受け入れて右往左往=財閥は500兆円隠し>

 テレビ事情に詳しい御仁によると、アベノミクスで500兆円もの内部留保に成功した財閥は、企業広告をやめてしまったらしい。民衆の目を誤魔化そうとしているのかもしれない。要注意だ。「今のテレビ宣伝は、化粧品やサプリなど大半が中小企業。そこでの詐欺商法にミーハー族は引っかかっている。テレビが詐欺を支援している。サマにならない。いまでは外国からの投資はない。岸田がロンドンで投資を呼びかけても効果はない」とも指摘した。


 経済測定の基本は、人口動態で決まる。これが需要を左右する。日本は41年間も人口減が続いている衰退国であることも分かってきた。購買力がない。「買いたいというモノはない時代」というが、確かである。

 「そのうちマンションの価値はなくなる」という指摘も頷くほかない。管理費や修繕費であくせくしている有様だ。その後の建て替え費用の捻出は不可能なのだ。そういえば、アベノミクスが打ち出した地方創生は何だったのか。国民を欺く手段だった。どこか再生した地方があるだろうか。ない!「テレビ局は右往左往している」という。


 人間社会は壊れている。アベノミクスがその突破口を構築した日本といえるだろう。日本は確実に滅んでいる。

2022年5月6日記(東芝製品不買運動の会代表・政治評論家・日本記者クラブ会員)

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